スペシャルコラム

「近代史の舞台となった日本のホテル」 富田昭次 著

第一章 新しい時代を切り開いたホテル

昭和戦前期にホテル・ブームが起きていた

2008年に観光庁が発足して来年で10周年を迎えるようになり、日本にもようやく「観光立国」の意識が定着してきているが、この傾向は初めてのことではなかった。

1930年(昭和5年)、鉄道省の下部組織として国際観光局が創設された。当時の内閣が輸入超過であった国際貸借改善の一方策として外客誘致に着目し、これを設立したのだ。

国際観光局の重要な役割の一つに、ホテルの整備があった。全国の観光地にホテルを増やしていこうというのである。その促進策として、大蔵省から低利融資を引き出し、地方自治体に斡旋することを始めた。これによって、ホテル・ブームが起きた。融資を受けて誕生した、あるいは施設を充実させるために改造工事を行なったのが次のホテル群である。鉄道省国際観光局が編集し、1940年(昭和15年)に発行した『観光事業十年の回顧』をもとに列記してみよう(開業年月も同書に従った)。

1.長野県立上高地ホテル(低資 25万円)昭和 8年10月開業(注1)
2.蒲郡町立蒲郡ホテル(同  30万円)昭和 9年 3月開業
3.滋賀県立琵琶湖ホテル(同  30万円)昭和 9年11月開業
4.横浜市有ホテルニューグランド(同  15万円)昭和 9年10月増改築
5.大阪市立新大阪ホテル(同 410万円)昭和10年 1月開業
6.長崎県立雲仙観光ホテル(同  30万円)昭和10年10月開業
7.唐津市立シーサイドホテル(同  10万円)昭和11年 4月開業
8.山梨県立富士ヴューホテル(同  25万円)昭和11年 6月開業(注2)
9.静岡県立川奈ホテル(同  80万円)昭和11年12月開業
10.名古屋市立名古屋観光ホテル(同 130万円)昭和11年12月開業(注3)
11.長野県立志賀高原ホテル(同  30万円)昭和12年 1月開業(注4)
12.新潟県立赤倉観光ホテル(同  30万円)昭和12年12月開業
13.熊本県立阿蘇観光ホテル(同  25万円)昭和14年 7月開業
14.宮城県立ニューパークホテル(同  30万円)昭和14年 8月開業
15.栃木県立日光観光ホテル(同  25万円)昭和15年 6月開業(注5)

(注1)上高地ホテルの名称は後に上高地帝国ホテルに。1977年、改築により再開業。
(注2)河口湖畔に建設された富士ヴューホテルは箱根の富士屋ホテルが経営。改築後、1985年に再開業。
(注3)名古屋観光ホテルはその後改築され、1972年に再開業。
(注4)志賀高原ホテルは、しばらく志賀高原温泉ホテルの名で営業した。現在は志賀高原歴史記念館。
(注5)中禅寺湖畔に建設された日光観光ホテルは日光金谷ホテルが経営。現在は中禅寺金谷ホテル
(1992年改築)として営業中。

地方自治体は、実際の経営については業者に委託したが、これらのホテルは国策によって誕生したと言える。残念ながら1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争に突入したため、その存在価値を十分に発揮できずに終わったが、今日、歴史あるホテルの多くがこの時代において基礎を築いたことは、記憶すべきことであろう。

民間外交官の誇りをもっていたホテリエたち

築地ホテル館 三代広重による錦絵

さらに時代をさかのぼると、実は、明治時代の昔から、観光が日本にとってとても重要な産業であるということを理解していた人々がいた。近代においてホテル経営に携わってきた人々(ホテリエ)である。
ホテル経営者たち、つまりホテリエたちは外国人と接することで、多くの情報・反応や意見を得るようになった。まず、日本には風光明媚な土地が随所にあることを教えられた。日本の文化もまた多彩で、奥が深いことを教えられた。客人をおもてなしする自分たちの心も豊かであることを教えられた。日本人は外国人の言動を通じて、自分たちと自分たちの国を理解するようになっていったと言える。

そのような状況の中で、ホテリエたちは次第に誇りをもつようになり、民間外交官のような認識で仕事をするようになるのである。例えば、帝国ホテルの会長を務め、外客誘致機関・喜賓会を創設した“日本資本主義の父”渋沢栄一。そして、ジャパン・ツーリスト・ビューロー設立や東京ステーションホテル創業に尽力した鉄道マン、木下淑夫。亀の井ホテルを経営しながら、別府温泉全体を広く宣伝して外国からの賓客を接遇し、“別府外務大臣”を自任した油屋熊八もその一人である。このほど結成された日本クラシックホテルの会の会員ホテルの経営者たちも無論、そうした人々であった。

さて、こうした先人の活躍でホテルの歴史が築かれていったが、改めて日本の近代史を掘り起こしながらつぶさに見ていくと、そこにはいつもホテルの姿があった。貿易で栄えた横浜や神戸、外国からの賓客をもてなした首都・東京や古都の京都、奈良、商都として発展した大阪、避暑地として、また保養地として開発された日光や箱根、軽井沢や雲仙など、国際観光局が創設される前から、全国の主要な都市・地域に多くのホテルが築かれた。そして、ホテルは単なる宿泊施設に留まらず、人々が交流し、新しい文化を求める場ともなり、近代史の重要な舞台になっていくのである。

築地ホテル館 三代広重による錦絵

続く。

第二章 ホテルはいつも人々の経済・文化活動を支えてきた